命だけは平等 透徹した徳田理念 湘南鎌倉総合病院 もてなしの心で、病む人を元気に

院長 塩野 正喜さん
    
病院といっても、所詮はサービス業。ホスピタリティの精神を貫く、と説く。
 「旅を続け、疲れた人に宿を貸す。病に倒れた人を、元気にして帰す。我々は旅籠のあるじみたいなもので、別に患者さんとの間に、上下の関係なんかありません。もちろん、プロとしての仕事を提供しますが、その心は宿屋のおもてなしなんだ、と思っているんです」。
 院長に就任して以来、患者さまと呼んでいた習慣も、患者さんに改めた。ともに病と闘う仲間。医師も患者も一体となって取り組む覚悟を訴えた。病院のエントランスには、患者が十分な医療を享受出来る権利を明示しているが、同時に、医師と共に病と真正面に闘う義務も、明記されている。
 かつて、徳州会病院は、医療界の異端児的見方をされてきた。経営・医療方針がしばし、地元医師会の思惑・利害と、ぶつかりあうが故のことである。徳州会病院の建設計画が明らかになり、地元医師会が学校医のボイコットに打って出る、事件すらあった。
 徳田虎雄理事長が掲げる「命だけは平等」の精神は、徳州会の理念として脈打つ。24時間、1日も休まずに患者を受け入れる。救急患者はことわらず、いつでも門戸は開放される。新病院も、開院1カ月。多いときは1日45台、平均して35台の救急車が、急患を運び込む。
 「警察、消防をサービス業とは言わないまでも、彼らも24時間活動し、正月だって休みはありませんね。社会的事業というのは、これが当然だと思うんです」。医療事業者として、長い間続けてきた慣行が破られる時、両者間にはしばし、軋轢が生まれた。
 新たな、改革に打って出ようとすれば、いつの時代でも、どんな世界でも同様のことは起きる。厳しい生き残りの、まっただ中にある病院経営だけに、なおさらのことだった。
 
人材育成こそ急務の課題

 「医師というのは、得てして外のことに関心を持たず、それぞれの科が部長を中心に、行動する傾向がある」。それだけに、組織としてまとまりにくい、組織行動の不得手な、企業体といっていい。
 塩野さんは湘南鎌倉病院の院長に迎えられる前、葉山デイケアをはじめ、いくつかの系列クリニック院長などを務めていた。「9年間のサテライト回りでは、まずは組織をしっかりし、利用者に喜び、感謝される仕組みを作る」。そんな役回りを演じ、営業成績を上げることにつなげてきた。
 理事長が、徳州会の基幹病院である湘南鎌倉の院長として、塩野さんを見込んだのも、組織人としての腕のサエ、力量を見出したからに違いない。 「どんな会社も同じことですが、組織は、そこに働くみんなが同じ方向、ベクトルがあわなければなりませんね。自分のことだけ考え、あとはワレ関せず。これでは組織とは言えません。みんなと飲み会をやって、ワイワイガヤガヤ、そんな中から、新しい方向も出てきます。心から職員がハッピーになれば、それは患者さんにも伝わる。それがサービスの心になるだろうと、思っています」。


 看護師に医療安全や感染症対策などのチームリーダーを任せいてるのも、大病院では珍しい試みだ。ドクターはアシストに回る。看護師の専従責任者から、ドクターに指示が出る。快く思わぬ医師がいたにしても、 医師には本来の役目をしっかり果たしてもらう、というねらいもある。
 ピラミッド型の組織を、逆にしてみる。そんな発想も、湘南鎌倉病院が徳州会屈指の大病院に成長した原動力にもなった。 
塩野さんは東京医科歯科大を卒業、勤務医として経験を積む。9年間、国立病院に勤めるが、予算不足もあって、設備や組織を含め、医療活動に不自由さを感じていた。開業するか否か、悩んでいた折り、徳田理事長と面談する機会を得る。「命だけは平等」と訴える理事長の考え、理念に感動を覚える。
 「差別はダメ。貧乏人だって金持ちだって、命は同じ。同じ医療が受けられて当然。私も貧乏でしたから、余計胸に響きましたね」。
 23年前、徳州会に入った。「何もないところから、何かをやるのが好きだった」。塩野さんにしてみれば、必要な設備の購入を申請すると、当時3000万円する医療機器を、買い揃えてくれ、病院全体が医師も、看護師もレントゲン技師も、急病患者のため機能的に、機敏に活動していた。これぞ医療との思いを深める。

 医療技術進展への対応

 542床ベッド数をもち、15階建ての新病院は、将来に備える余裕ももつが、医療技術の進展はとどまらない。
 再生医療での分野でも、「iPS細胞は、倫理上の問題もあるけど、これからは自分のお腹の細胞を採取して、衰えた動脈を蘇らせることが可能になってくる。これは脳梗塞や心臓疾患などあらゆる部門に応用できる」。そんな時代への備えも必要だ。
 「かつては、聴診器ひとつが医療器具で、おのれの五感を屈指して、病に立ち向かっていました。それが、今ではCTでスキャニングすれば、一発でパッとわかる。感覚など研ぎ澄まさなくとも、映像で判るんですね」。一面での不安も隠せないが、医療技術の進展には否応なく巻き込まれる。それへの対応を怠れば、病院経営に齟齬をきたしてくることも、明白な時代になってきた。
 湘南鎌倉病院は昭和63年に開院して、3年半の間に、20億円もの赤字を出す、湘南鎌倉は徳州会のお荷物。早急に閉鎖すべきと、取引銀行から要求され、同時に千葉西、札幌東を含む3病院のリストラが融資の条件、と銀行から揺さぶられる危機もあった。
 大型病院は、採算がとれるまでは時間がかかるもので、現在徳州会を支える有力病院が、かつてリストラを求められた、この3病院というのも、皮肉な現実である。
 器は出来た。「後は人材をしっかり育てること。設備や建物はお金で何とかなるものですが、人を育てることは簡単ではありません。次のリーダー育成が一番の課題と、各部門長にそれぞれの後継者づくりを指示した。
 鎌倉地域の基幹病院として、その存在感は一層高まるが、「医療の先頭に立ち、引っ張っていくのはやはり行政。残念なことに鎌倉市には明確なマスタープランがない。医師会に丸投げしているだけ」と、手厳しい。介護医療や、少子化への対応含め、市のリーダーシップが求められる時期だけに、院長の表情も曇りがちだ。
 
 *塩野さんは、横浜・神奈川区の子安に生まれる。周辺は、かつてシャコ漁で賑わった漁師町。父親が歯医者を開業、長兄が後を継ぐが、ご本人は整形外科医の道を歩む。高校(平沼高校)時代から、医者になるための心構えと、必要な勉強だけは怠らなかったという。現在も週3日は、外来で患者を診る。
 昭和15年1月生まれの70歳。



エントランスには病院の理念とあわせ、患者の権利と、義務が明記されている


4階までの吹き抜け。広いロビーには、奄美産シマトネリコの樹木が落ち着きを醸す。院内に24時間営業のコンビニがあり、開業1カ月で、1日当たりの売り上げが、日本でもトップクラスになる  

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