住職のかたわら     卓球世界大会を率いて
 貞宗寺住職 山口 宇宙さん (植木在住)

多彩な経歴を持つ、ご住職である。「本堂でのお勤めや、法事は最優先」だが、日本卓球チームを率いて、世界大会に参加するほか、鎌倉市の体育協会会長として、市民の健康・スポーツ意識の向上に奔走する。そればかりか35年もの間、保護司として、罪を背負った人たちの更生に、手助けを惜しまない。7年前に大病を患い、ご家族がお葬式の準備までする。一度は失いかけた命。由緒ある寺を守りながらも、東奔西走の日々である。

玉縄文化を発信、玉縄小学校の原点

 江戸時代の末期、貞宗寺に寺子屋が置かれ、明治6年の学制改革で「玉縄学校」、そして今日の玉縄小学校に至る。寺の規模でこそ小さいが、玉縄には欠かすことの出来ない、ピカリと光る古刹である。
 玉縄廃城後、徳川二代将軍秀忠の、母方の祖母である貞宗院の屋敷跡に貞宗寺は立つ。苔むす貞宗院のお墓や、徳川歴代将軍ゆかりの位牌等をお守りしている。
 境内に植えられた梅が有名で、数年前NHKで放映され「狭い所に、えらい賑わいになった」こともあるが、いつもは静かな佇まいを見せる。
 16代住職の荻原上人は、オックスフォード大学でサンスクリット語を研究、日本の梵語研究の道筋をつけた。さらに、「今はお寺の宝。日本で最初の活版印刷による仏教経典を網羅した大蔵経を所蔵する」ことなど、玉縄のみならず日本の仏教・教育史の中でも、同寺の功績は異彩を放つ。





 今も残る寺子屋時代の教科書と日本最古の活版印刷「大蔵経」の大部がある。

鎌倉女子大の教官を辞め、住職に

  山口宇宙さんは、伊予・西条の出身。父親は浄土宗の寺々の立て直しに回るほか、戦前は県の軍人援護局長まで務めるなどした。終戦時、戦争に協力したかどで、恩給はカット、辛酸をなめる。その気骨の父親が、子供に「宇宙」の名前を付けた。今であれば珍しくもないが、73年も前の時代にである。
 お坊さんには珍しい、本名の宇宙で通す。気宇壮大な先代の精神を受け継ぎ、檀家20余りの小寺を、父親の前住職から受け継ぐ。
 実は山口さん平成2年まで、鎌倉女子大学(当時京浜女子大学)の教官をしていた。倫理や歴史を教えて30年が経つ。高体連の責任者を任せられたり、教師としての役割の他に、すでに、スポーツ関係での広い人脈と、経験を積んでいた。寺院の経営を引き継ぐため、退職をせざるを得なくなったが、退職金は、境内の駐車場の整備に投資するなど、基盤の整備に真っ先に取り組んだ。



 手前の座像が、貞宗院で、後方が位牌。左右には二代将軍秀忠公の位牌なども安置してある。

卓球は8段の腕前、市体育協の会長も
  お寺の整備にも、費用はいろいろかかるが、加えて「スポーツも、出費はかさむもんです。例えば、卓球で世界大会に出る。選手10人としても、コーチや医師、ドーピング検査もあって薬剤師の方も同行する。合計40人にもなるんです。」
 選手団は国費で賄われるが、馬鹿にならないのが、現地で「オイ、頑張れや」とやる激励会。こうしたお金は役員の持ち出し。お寺のお金は奥様が管理するが、年金のほとんどは、スポーツの活動で消える。
 好きな卓球ゆえ、いまさら引くに引けない。高校、大学と県大会等にも出場、お年ゆえ"愛ちゃん"には勝てそうにもないが、8段の腕前である。
 御子息も日本卓球協会の職員であり、競技者育成委員会の副委員長。お嫁さんは、なんと全日本チャンピオンの輝かしい戦績をもつ。お爺ちゃんとしては、幼稚園生のお孫さんに、ひそかに目を付けている。



後進へのバトンタッチも、これからの大仕事。現在は、障害者のための卓球組織の全国会長と、若手育成のための「ホープス会」の会長でもある。次代を担う、若者たちの成長を願う
つぐないの道を歩む、保護観察者を支えて

 昭和51年5月、法務省から保護司を委嘱される。あれこれ、仕事もたくさんあり、当時は鎌倉女子大で、歴史や倫理を講義するほか、生徒指導を担当していた。
 学長からは「まさにうってつけ」。保護司会会長からも適任と太鼓判。逃げるに逃げられず、学校退職した後も続き、今も現役の保護司。鎌倉地区の保護司会会長、全国連合会の副会長の束ね役でもある。
 34年の間、山口さんの保護対象を受けた人は、数多い。ごく最近、北海道の刑務所から一通の封書が舞い込む。20年前、面倒を見た人からの便り。「こっち(関東)にいた人間でね。二度とやらない。涙ながらに言って別れたが、きっと何犯も重ねたに違いないな」。人を更生させることの難しさ。山口さんの表情も曇る。
 保護司にも報酬はない。一人の対象者を預かると月額500円程度が支給されるが、それだけ。保護司には地域の篤志家でないと、基本的には選ばれない理由でもある。
 法務省からの推挙で、20年4月、瑞宝双光章の叙勲を受けた。「保護司としての活動を評価してくれた結果かなと思う。世の中に助けられ今日まで来た。出来ることで恩返していく以外ありませんね」。73歳とは思えない、作務衣姿のご住職には、人を教導する宗教家とともに、スポーツマンとしての素顔がのぞく。